大阪商人の不連続線
――経済のあり方が人間のありようを変える――
(中)「近代」という断層                        2018.5.15

講師は脇本祐一さん(元日経新聞編集委員)



1、維新革命による新陳代謝:経済界の主役が交代
*豪商の没落(幕末の買米ランキング)            ×は倒産、△はその同族
①鴻池屋善右衛門(鴻池)  33,000石    ①△加島屋久右衛門(広岡)  33,000石
③三井八郎右衛門(三井)  30,000石    ③泉屋次郎右衛門(住友)   30,000石
⑤×加島屋作兵衛(長田)  25,000石    ⑥辰巳屋久左衛門(和田)   20,000石
⑥米屋平右衛門(殿村)   20,000石    ⑥鴻池屋又右衛門       20,000石
⑥鴻池屋善五郎       20,000石    ⑩×近江屋休兵衛(森本)   17,000石
⑩×炭屋安兵衛       17,000石    ⑩△炭屋善五郎        17,000石
⑩×平野屋五兵衛      17,000石   ×升屋平右衛門(山片)×天王寺屋五兵衛(大眉)

*日本型「政商」の登場=政治権力と経済覇権の癒着で幕が開いた明治近代化
・三井組(井上馨、渋沢栄一)、三菱商会(後藤象二郎、大隈重信)、藤田組(木戸孝允、山縣有朋、井上馨)、五代友厚(大久保利通、黒田清隆)、浅野総一郎、大倉喜八郎
・為替方御三家の明暗:小野組・島田組の破綻と生き残った三井組(三野村利左衛門の活躍)
・沢の鶴:米屋喜兵衛(石崎)が享保2年(1717年)に酒造業。商標は※、

2、学都の消滅
・永田仁助(浪速銀行頭取)のぼやき
・泊園書院の存在感  藤沢南岳の手腕?
出身者:永田仁助、森下博(仁丹の創業者)、五代目武田長兵衛(「杏雨書屋」)
愛日小学校:「君子は日を愛しみて以て学び、時に及んで以て行う」(「大戴礼記」)
愛珠幼稚園:「主人花を愛すること珠を愛するが如し、幼子もまた掌中の珠として愛す」

3、明治15年にはじまった産業革命
日本銀行の発足(初代支店長:外山脩造、のち阪神電鉄初代社長)
近代紡績・大阪紡績の設立(渋沢栄一の主唱で藤田伝三郎・松本重太郎らが出資)
*イギリスの綿工業は日本を席巻できなかった
・東アジアの衣服文化の伝統  衣服の使い方や役割の違い(薄地の夏物vs厚手の防寒着)
・東洋のマンチェスターの由来

*東洋紡績対等合併の実態 1914年(大正3年)に三重紡績と大阪紡績が合併
・渋沢栄一の斡旋でトップの鐘淵紡績に迫る大企業に。合併比率は三重紡1対:大阪紡0.8、本社四日市、社長大阪紡の山辺丈夫、三重紡の伊藤伝七は副社長。取締役は三重紡5人、大阪紡2人
*小山健三:東の渋沢、西の小山
・三十四銀行(のち三和銀行)二代目頭取。大正7年、紡績トップになる大日本紡績(尼崎紡績・摂津紡績)の合併を仲介。関一の大阪市助役招聘を斡旋
・文部官僚・教育者。東京高商(現一橋大学)の教育を抜本改革。大学昇格の礎を築いた中興の祖。1899年(明治32年)1月に日銀大阪支店長の片岡直輝の推薦で頭取。近代的な商業銀行の経営方針を打ち出す。行風を一新するために羽織の着用を禁止し、新規取引先の開拓を推進。4月には日本中立銀行(台湾)と日本共同銀行を合併して規模を拡大。翌年には横浜正金銀行とコルレス契約を結んで外為業務を開始。
・日露戦争を挟んで産業構造が鉄道・電力・鉄鋼などの基幹産業に広がるなかで明治44年に新規事業に乗り出す。①企業に事業資金を供給する担保付社債信託業務を開始②資本金を倍額増資して中小企業向けに長期資金の貸出をはじめる③大正4年に東京支店、10年に京橋支店を開設。東京地区の営業活動の強化に東京商工会議所会頭の藤山雷太を監査役に迎えた
・積極的に規模や業務範囲を拡大しながらも経営は極めて堅実。東西の30行以上が被害を受けた巨額詐欺事件の「石井定七事件」(大正11年)で同行だけが唯一まったく被害がなかった

*菊池恭三
・工部大学校卒の紡績技師として平野紡績の支配人兼工務部長から尼崎紡績・摂津紡績両社の社長を兼務。大正7年、大日本紡績の発足で初代社長。鐘紡、東洋紡を凌ぐ最大手紡績に育てる。同13年、小山健三の死去によって三十四銀行の三代目頭取。昭和7年、鴻池・山口・三十四の合併を発案。日銀大阪支店に働きかけて翌年、三和銀行が誕生

4、大大阪のこと
・六代目市長の池上四郎と七代目市長の関一の22年(大正2年~昭和10年)が大阪の最盛期。
グレーター大阪(大阪都市圏の構想)、イギリス・レッチワースの田園都市(ハワードの先見性)
・池上・関をつないだ小山健三:池上⇔内藤湖南・戸田海市⇔小山健三→関
・小林一三の住宅分譲の宣伝文にみる近代都市・大阪の実情と郊外生活の時代
「美しき水の都は昔の夢と消え、空暗き煙の都に住む不幸なる大阪市民諸君」(明治43年)
「きれいで早うて。ガラアキで眺めの素敵によい涼しい電車」(大正9年、7月)
・阪神電鉄のタブロイド版「郊外生活」の定期発行

*岩下清周 偉大な銀行家? 第一級の山師?
・三井銀行で中上川彦次郎と対立して退社、北浜銀行を創始して頭取
持論の工業立国論に基づく投資銀行的な人物本位の積極融資で起業家を支援。
豊田佐吉(豊田自動織機製作所)、森永太一郎(森永製菓)、小林一三、大林芳五郎(大林組)
大正4年、乱脈融資で同行は破綻(のち三十四銀行に吸収)。背任・横領容疑で有罪
・小林一三の名言「百歩先が見えるものは……」が指すもの

5、都市対抗野球に見る企業の消長
・全鐘紡(昭和24~40年)から住金・新日鉄(30~平成7年)、松下・日生(28年~)まで
・田村駒(洋反物商)二代目社長の田村駒次郎の見果てぬ夢
都市対抗;昭和13年田村駒初出場。昭和14年、庄内田村駒準優勝、太陽レーヨン2回戦敗退
プロ球団のオーナー(松竹ロビンス、初代セ・リーグチャンピオン)